中清は、明治三年の
創業以来、
江戸前天麩羅に
こだわり、代々守り
続けております。
表通りから石畳を進み、蔵造りの表玄関を入ると
浅草の喧騒から中清の静寂な空間へ。
そして池のある中庭を囲んで、
数寄屋造りの離れがお出迎えします。
ゆっくりと流れる時間の中で、心ゆくまで
江戸前天麩羅をご賞味くださいませ。
幕末の頃、駿河の武士であった初代中川鉄蔵がその故郷を離れ江戸に出て、広小路通りに天麩羅の屋台を出したのが始まりで、明治3年浅草公会堂前に店を構えました。その後、関東大震災、東京大空襲と二度にわたり全焼しましたが、そのたびに立て直し現在に至ります。かつて、新橋「橋善」、銀座「天金」と並び、東京三大代表店の一つに数えられました。
文豪永井荷風先生の作品にしばしば当店を訪れる場面が描かれており、池波正太郎先生も度々通ってくださいました。今でも先生を募って、ご来店いただくお客様もいらっしゃいます。
また、久保田万太郎は当店3代目鉄太郎と幼馴染で中庭にて遊んでいたそうです。当店の名物である「雷神揚げ」は、芝海老と小柱(青柳の貝桂)のみで掲げた大ぶりのかき揚げで仏学者辰野隆博士が名付けました。この雷神揚げは一子相伝、揚げ方は門外不出とされています。
そして、創業当初から使われている天麩羅をおさめる箱は、輪島塗の特製のお重で「天箱」と呼んでいます。中には油が切れるように金網が敷かれ、揚げたての天麩羅をお熱いうちにお座敷にお届けできるようにと初代の配慮から考案されました。